Author:鈴木 大祐(From:日本の未来を想う投資家の活動実録)
USJ再建ストーリーには長い歴史とバックグラウンドがあります。僕自身もUSJ再建ストーリーの第一楽章にあたる部分の当事者の一人でしたので、その時の現場最前線での出来事も含め、USJは実際には誰が、どのようにして再建し、その後の成長を実現できたのかをご紹介をしたいと思います。
USJ再建の本当の起点は2005年
2001年3月末オープンしたUSJですが、初年度の2002年3月期は目新しさで1,103万人もの来場者を記録しました。
しかし、これが1年で一巡し、再来場が大きな課題となり、上記の不祥事も重なって急速な経営悪化に陥ったUSJでは、ハリウッドフレンドパス(HFP)と言う格安マニュアルパスを2003年の3月に発行。
このHFPによって、来場者数は一気に20%以上伸びました。もし来場者数だけで語れるのであれば、このパスを導入した自分がUSJを立て直したよ、とアピールしたくなるかもしれません。
しかしながら、現実には顧客の平均単価が30%も落ちてしまい、トップラインの売上高は前年割れをしてしまいました。もちろん利益も赤字体質から抜け出すことはできませんでした。あまりに急速に悪化するこの状況を見かねた米国ユニバーサル本社では、その打開策として以下のアクションをとりました。
1️⃣テーマパーク経営のプロであるグレン・ガンペル氏の招へい
2️⃣金融支援をふくめた経営再建について、GS(米国側)に資本注入と経営への参画を相談
そして2005年の春、突然GS日本のTMTグループのヘッドのところに米国GSから電話がかかってきました。米国のユニバーサルグループから、日本のユニバーサルスタジオジャパンが大変なので何とかゴールドマンの方でサポートしてもらえないか?という相談、というか指示でした。
その電話の直後に僕はMDに呼ばれて、彼の部屋に行きました。それが僕の人生を変えるほどの大きな分岐点になった瞬間でもありました。
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